未来都市で始まる新しいラブライブ
「ラブライブ!サンシャイン!!」に次いでアニメ化されたラブライブ!シリーズ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」
シリーズ内では番外編的な扱いだという話もあるようで、そのためでしょうか、今までのシリーズとの雰囲気の違いが感じられます。
舞台は田舎の海沿いの町だった前作から打って変わって東京臨海副都心。
虹ヶ咲学園校舎はあの東京ビッグサイトがモデルですが、アニメの中でも巨大な空間を多くの生徒が行き交う様子が描かれ、そして同好会の膨大な数に触れる台詞からもとてつもない規模が伝わってきました。
廊下の掲示はスクロールするデジタルサイネージだし、授業では1人1台のタブレットを使っているのも未来的。(タブレットは現実の日本でもまもなく全国の公立小中学校に導入されます)
3話の生徒会室でのPCを広げての会議の様子や、4話で同好会が借りた充実した校内設備などのシーンも当たり前のように挟まれます。
1~4話まででは、メンバー個人の話と並行しながら、同好会の復活、そして今後を決めるという、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の連続した物語が描かれてきました。
部員数が足りないことにより部が成り立たないという状況、そして非凡な成果を上げ廃校の危機を回避しなければならないという目的を目指す必要のあった過去のラブライブ!とは全く環境が違い、それらの作品とは異なる場面を描いたシーンが多くなるのではないでしょうか。
こまやかな動きや台詞
スキンシップや物を食べる場面の細かい演技も印象的でした。
1話の仲良しシーンで侑の頬についたカスタードを指で取って自分でなめる歩夢や、何かと頭を撫でられるかすみ。
3話ではさりげなく果林の指についたケチャップと、それを当然の成り行きでなめる様子。そして、侑がせつ菜に抱き着いた劇的シーンのあと、しゃがみ込んだままだった侑を引っ張り上げる歩夢……。
ズームで強調するでもなくさりげなく行われつつも、見逃すことは無い程度にはっきりと動きがつけられることで、臨場感が感じられるとともに、エピソードを描かずともメンバーの個性やメンバー間の関係性への創造が捗ります。
コッペパンがかすみによって通貨のように扱われているのも面白いのですが、それを分け与える場面も印象的でした。
侑と歩夢の間では仲良しシーンとして会話を交わして行われたのに対し、果林からエマへは無言でさりげなく、長年連れ添った夫婦のように言葉など要らない関係性がうかがえました。
そして、基本礼儀正しい登場人物がコッペパンを分け与えるシーンでは礼を言いません。そんな言葉は必要ないのでしょう。
侑と歩夢の食べさせあいっこでも、写真を撮ったりしているうちに忘れて結局一方通行で終わっていますが、気にするそぶりもありません。
施し施される関係ではないんですね。
それ以外ではなんといっても2話の「かすみん」。
生徒会室侵入などのコミカルな動きがあるかと思えば、侑と歩夢に自己紹介する時や同好会紹介動画では表情もコロコロ変わり、体全体でかわいらしさを表現しているのが印象に残りました。
ストーリー上の伏線・布石なども、丁寧に作られ名作となった過去の数々のアニメのように、かなり見つけることができますね。
1話では、スクールアイドルに積極的な侑とは異なり及び腰だった歩夢の秘めた思いが終盤明かされるのですが、そこに至るまでの様々なシーンでも、それとなく漏れている感情が見てとれる場面がたびたび描かれていました。
また、2話冒頭の生徒会室。果林がこの時にやったちょっとした「仕事」がこの回の最後に明かされますが、後から冒頭の場面を見ると確かに「やっていた」ようなそぶりが伺えます。
印象的な台詞もいろいろありました。
2話で自分の過ちに気づいたかすみ、4話冒頭でスクールアイドルをやろうという決意を璃奈に語る愛などなど。
私は特に、2話から3話にかけての果林の台詞が印象に残りました。
2話では同好会紹介の練習をしていた歩夢にかけた言葉、そして冒頭と最後での生徒会室での菜々とのやりとり。
生徒会室での出来事の続きが描かれた3話で、菜々を追い詰めながらもエマ達に会話のバトンを渡したところなどは、自分よりエマを優先する友達思いの性格がわかるのと同時に、その場にいる人物に対して、そしてメタ的に視聴者に対しても、「そこでそれを優先的に話す理由」の説明にもなっています。
虹ヶ咲の楽曲やスクスタなど過去作からの引用も数多く仕込まれていて、何回も見返して楽しめる奥深い作品ですね。
ひとりひとりの課題を解決する物語
物語としては、過去のラブライブ!にあった学校存続問題、そして、メンバーを集めなければ部を始められないという問題のかわりに、4話までの時点では各話の当番メンバーそれぞれが直面している課題の解決が描かれてきました。
この感じは私の好きなアニメ作品のひとつ「八月のシンデレラナイン」にも似ています。
ストーリーを左右するシリーズ構成が同じ田中 仁さんの手によるものだからでしょうか。
私の主観的表現ですが、なんとなくパステル調の優しい感じがするという点も、八月のシンデレラナインに似ている気がします。
各話終盤の山場では、今のところ毎回、仲間の助けなどを得て課題を解決した当番メンバーが、作中の現実から離れたPV的なライブシーンで歌を披露します。
これはアニメ「ラブライブ!」、そして「ラブライブ!サンシャイン!!」の初回に、スクールアイドル活動へと一歩を踏み出した主人公たちにより、同じく作中の現実から離れたミュージカル的シーンが挿入されていたことに倣ったものなのではないかと思います。
ストーリーの区切りでライブがあるという点、そして覚醒するとステージ衣装になるというのは、この作品誕生の場である「スクスタ」(ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル!オールスターズ)とも同じですね。(スクフェスやデレマスなど他のゲームにも共通する要素です)
4話でも、自分の答えを見つけた愛のライブが描かれましたが、この時には4話のテーマと愛のキャラクターに合わせてか、ところどころに観客の姿が挿入され、現実に戻った時には歓声を浴びます。
練習に集まってきた同好会メンバーもそこにいました。
侑は「すごいね~。あれが愛ちゃんの『ステージ』なんだ…」と当たり前のように受け取り、他のメンバーもこの回の締めのように、それぞれ意欲を掻き立てられたという感想の言葉を漏らす。この感じは…… ニチアサにありそうな魔法少女もの?
目覚めた少女はアイドルに「変身」する
課題を抱え前へ踏み出せない当番メンバーが、それを乗り越えて覚醒した時「変身」するという表現で私が思い出す作品は「しゅごキャラ!」です。
この作品は魔法少女とは少し違うかもしれませんが、誰もが持つ将来への夢への思いである「こころのたまご」の力で、夢を目指す前向きな気持ちの高まりにより「なりたい自分」を象徴する姿へと変身し、隠れた力を発揮する「キャラなり」という状態が描かれました。
せつ菜「CHASE」にも「なりたい自分」という言葉がありますね。
魔法少女ものでは「変身」のような現象が作中に存在している世界が描かれますが、アニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」は現実世界の話です。
1話では最初の当番メンバーである歩夢のライブシーンが描かれましたが、その回の序盤で侑が見たせつ菜のライブが非現実のシーンとして描かれることで、変身など無い世界でありながらそういう表現を用いるアニメであることが示されました。
その表現は侑のような観客にとってのイメージだと思っていましたが、4話まで観てみると、覚醒し力を得たメンバーが、自身の姿をそう感じているという解釈もできそうですね。
というわけで、4話までを見て思ったことをいろいろ書いてみました。次回は、いよいよ同好会の再始動を果たし、方向性を見出した後の5話。どうなるか楽しみです。