「ラブライブ!サンシャイン!!」で主人公たちの通う「浦の星女学院」。
静岡県沼津市内浦地区、長井崎の丘の上にあるミッション系の女子高という設定のこの学校の創立については、アニメ「ラブライブ!サンシャイン!」のディスク1巻の特典となっている小説「Aqours’ Sea Side Diary 千歌・梨子・曜編」の千歌ちゃんパートにこんな話が載っています。
昔この辺を治めてたお代官様が教育熱心な人で──あの有名なペルリ提督がアメリカから黒船で伊豆にやって来た時にね、そのあんまりにスゴイ鉄の船を見てびっくりぎょーてんして、これからは西洋文化を学ばなくちゃダメだ、それには若者の教育が一番大事だ~っていう家訓を残したんだって!
Aqours’ Sea Side Diary 千歌・梨子・曜編
それで、そのお代官様の子孫が、たしか──戦争の前ごろって言ってたかな?
エヘヘ──歴史は苦手なチカだから、どの戦争かとかはちょっとよくわからないんだけど♪
でもとにかく、その子孫の人がね──これからは女子の教育に力を入れるべし! って叫んで、近くの教会に派遣されてきていた外国人のシスターを連れてきて、英語の先生に迎えて女学校を作った──っていうのがその始まりなんだって。
ね? なんだかスゴイでしょ♪
こちらの世界で幕末の伊豆のお代官様といえば、私たち地元の子が学校で必ず習う郷土の偉人、江川英龍のことです。
西洋の事情に詳しかった英龍は、黒船が来たりとさまざまな出来事によって外国との関係を見直す必要に迫られた幕末の情勢をふまえて海防の必要性を唱えていました。
大砲を鋳造するために作られ2015年に世界遺産になった「韮山反射炉」、そして江戸を守る砲台として作られ東京の臨海副都心の地名のもとになった「お台場」は、現在も見ることのできる英龍の功績です。
また、軍隊の携帯食としてパンに着目し、幕末に日本で初めて焼いたのも英龍なのだそうです。
ほかにも幕末の有名な人物・出来事に広く関わっていた人物なのですが、小説やドラマの主人公にはほとんどなっていないのが残念です。
作品内のように英龍の子孫がシスターを呼んで内浦に女子高を作ったということはありませんでしたが、英龍の五男英武はいまの県立韮山高等学校のもとになった「伊豆学校」の校長となり、英語教育に力を入れて自ら授業も担当していたそうです。
また、江戸で砲術道場として使われていた江川家の屋敷は、福沢諭吉に払い下げられてしばらく慶應義塾の校舎に使われ、その時の門は現在江川邸に移築され正門となっているそうです。
英龍は伊豆韮山の邸宅に「韮山塾」を開き西洋式の砲術を学ばせていましたが、いま全国の学校で使われている「気をつけ」「休め」「まわれ右」「全体止まれ」「右へならえ」などの号令はその時英龍に仕えていた石井修三という人が翻訳して作った言葉なのだそうです。
そしてそして!
Aqoursメンバーのひとりである渡辺曜ちゃんが、連絡船の船長をやっているお父さんに影響されてよく使っている航海用語の「ヨーソロー」も、後に長崎海軍伝習所で学んだ石井修三が幕府の海軍のために、英語の号令で進路などを「そのままでよし」というような意味の “Steady” を翻訳し、日本語の「宜候」の文字を当てて作ったそうなんです!
つまり、曜ちゃんの「ヨーソロー」のルーツ(起源)は、「ラブライブ!サンシャイン!!」の世界のなかではメンバーの通っている浦の星女学院にあった! ……ということになるのかもしれません。
原案の公野櫻子先生がそこまで考えていたのだとしても、奇跡的な偶然だったとしてもおどろきです!
- 参考資料